2011/12/02

第100話
知・徳・体の統合


文=真田久

 知・徳・体を唱えたのはイギリスの社会学者かつ哲学者のハーバート・スペンサー(1820〜1903年)である。彼の代表的な著書である『教育論』で、知育・徳育・体育の三育思想を主張し、多くの国々の教育に影響を及ぼした。もちろん、明治以降のわが国の教育もこの三育主義のもとに組み立てられたのであった。
 学校教育では、国語、算数、理科、社会などが知育にあたり、道徳が徳育、そして教科としての体育または保健体育が体育にあたると考えられてきた。

 これらの組み合わせは果たして正しいのだろうか?特に体育からみてみると、体育は身体の強壮のみをめざすもので、知育や徳育とは関連がないものと認識されてしまう。しかしながら、スポーツマンシップやフェアプレイなどの観念は徳育にあたるし、スポーツの技術を向上させるべく考えられたスポーツ科学や、栄養学、健康管理などの知識は、知育にあたるものである。そうしてみると、体育の中に、知育や徳育が含まれているのである。
 我々はどうしても知育は何、徳育は何という具合に単純に分けてしまいがちだが、その考えはよろしくないのではないか、そう思ってスペンサーの教育論を読んでみると、当のスペンサーも、そのように分割して教育するのではなく、総合的に教育することを最終的な目標にしていたことがわかる。

 スペンサーは、教育は身体と知力と徳性の三者に及ぶ事が必要であると述べるが、それは、身体と精神を磨いて幸福な生活を求めるように準備させるためであった。遊戯などの身体活動を通して労苦に耐えられる強い身体をつくり、栄養摂取や運動時の衣服にも配慮し、筋肉的活動の励行についても言及した。
 知育としては、言語能力と想像力及び実験などによる合理的見方を身につけることを主張する。そしてこれらにより、様々な状況に遭遇しても正しく自分を処するようになることが大切で、さらには自分の能力を最も有効に使用して、自分のみならず他人のためにもなるように行動せよ、と主張したのである。
 
 戦前の教育学者の中には、スペンサーの教育論を発展的に解釈し、三者を別々に行うのではなく、体育的に知育を行い、知育的に体育を行うべき、と主張した者もいる。地理学教育の牧口常三郎で、嘉納治五郎のもとで中国からの留学生を教えた経験もある牧口は、徳育は体育や知育の中で行わないと意味がないとして、現実的課題の中での教育を重視した。
 このようなことも踏まえて考えると、武道も含めて体育やスポーツこそ、人間の教育にとって極めて重要なものではないかと思われるのである。精神と身体を統合的に発達させること、そうした人間が他者や社会に貢献することは、人々に大きな影響を与える。そうなることでスポーツの価値は増していくに違いない。

 今回でスポーツのエクセレンスの連載は100回となった。スポーツの社会的価値を高めたいということで、それぞれの視点で書いてきたが、まとめとして、スポーツは個人においては、知・徳・体の統合的な発達に関わり、それを身につけた個人が社会に貢献することが重要だということであろう。調和的な知・徳・体を備えた人物による社会への貢献こそ、スポーツに課せられた使命ではないだろうか。



真田 久(さなだ ひさし)

筑波大学大学院修了。筑波大学教授
古今東西のオリンピックの歴史やオリンピック教育について研究。


主な著書(共著)「ポケット版オリンピック事典」(株式会社楽)
「オリンピック学習読本」(東京都ほか)
日本オリンピック・アカデミー理事、日本スポーツ人類学会理事

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